不要なプライドと傲慢な態度
Internetで配信されるニュースをよく目にする。
今日は私が日頃から考えていて、また最近の自分自身に対するテーマのように考えていた問題だったのでここに書くことにしてみた。
なんでも、パプアニューギニアのソマレ首相がオーストラリアの空港で搭乗前の保安検査を受けさせられ、靴を脱ぐよう求められたことに抗議しているのだという。
そして、パプアニューギニア側は、謝罪がない限りオーストラリアからの支援受け入れを凍結すると発表し外交問題にまで発展しているのだという。
ソマレ首相は3月24日、ニュージーランドで開かれた地域首脳会議に出席後、オーストラリア東部のブリスベーン空港を経由して帰国する際に同空港で保安検査員から靴を脱ぐよう求められた。首相は「靴の中にはなにもないといったのに」と立腹しているのだという。
これは国それぞれの習慣や考え方や、もちろんいろいろあるだろうと思う。
けれど皆この地球という場所を借りて生きている人間ということに何の違いもないハズだ。
9.11のテロ事件以後、各国の各飛行場で保安検査を実施している。首相であろうと何であろうと構わないじゃないかと思う。
私は一国の首相だという驕りや余計なプライドがあるからそんな些細な事で立腹するのではないかと思う。
自分に対してのプライドは持っていてもらいたい。「私なんかダメだ。」とかそういう自己卑下した発言ばかり繰り返して何の努力もしない人は私は嫌いだ。
だけど自分をよく見せようとか、人より優位に立とうとか、そんなプライドは勘違いでしかなく揉め事の元になると思う。
首相だろうが何だろうがちょっと靴を脱いで見せてやるぐらいいくらも時間のかかる事ではないじゃないか。
オーストラリアの空港職員がマニュアル通りで融通が利かないということに対して腹を立てているのだろうか?
靴をちょっと脱ぐだけで、首相自身の、そしてその飛行機に搭乗する人々の安全が少しでも向上するのならば、少しぐらいそんな融通が利かない事でも協力してやればいいじゃないか。
私はそんな風に思う。
余計なプライドを鎧の様にまとっている人は見ていると悲しい。そして寂しくて痛々しい。
自分に自信があれば何も恐れる事はないのだ。
そんなことをいう自分も時にはやっぱり不安になったり、余計なプライドを背負い込んでしまう時がある。
身の程をわきまえて勘違いしないで生きて生きたいと思う。